切り捨てられるブランド
posted at 13:23:46 on 2006-02-20 kaz | Category: オンモード
先月26日、ソニーがアイボやQRIOといったロボット事業から撤退すると発表した。
http://japan.cnet.com/news/biz/story/0,2000050156,20095260,00.htm
実はこのことがずっと引っかかっていた。
このニュースについては、多くの人が論評しているので今更話題にしてもと思っていたのだが、先日カメラ・フォト事業の終了を発表したコニカミノルタの技術者と話をしていて気が付いた。
ひょっとしてこれらのニュースは大変なことではないかと。
コニカミノルタの技術者はこう話していた。
「とうとううちもカメラ事業から撤退してしまいます。私は事務機器メーカーに就職したつもりはないのですが...」
http://japan.cnet.com/news/tech/story/0,2000047674,20094760,00.htm
彼は、会社を辞めることも考えていた。
ソニーとコニカミノルタの経営判断は、財務諸表から考えると正しい決断なのだろう。
しかし、本当にそれでよいのだろうか?
ほぼ時を同じくして、三洋電機が有機EL事業から撤退し、コダックとの合弁会社も解散すると発表した。
http://japan.cnet.com/news/biz/story/0,2000050156,20095563,00.htm
実は、私の中でこの三洋のニュースは、まだ比較的抵抗感なく受け入れられた。何故なら、これはまだ一般の顧客を巻き込む前の段階だからだ。(もちろん元技術者としての思いは少し別のところにもあるのだが)
だが、ソニーのアイボとコニカミノルタのカメラに関しては違う。
消費者の生活に入り込み、多くの人達が製品に対する思いを共有している。
そう、もう単なる事業ではなく文化なのだ。
ちょっと振り返ってみよう。
高度成長期は、製品の性能がよければ売れた。
市場に製品を供給できれば事業は成り立った。
消費者は、性能や機能の良し悪し、価格を比較して製品を選んだ。
よいものを作れば売れた時期があったのだ。
ところが今は違う。
製品は動いて当たり前。よくて当たり前なのだ。
そんな当たり前の製品を作っていては、消費者は価格を比べる。
安い方が売れるのだ。
中国や韓国製品の品質が上がれば、当たり前の商品はそれらと競合してしまう。
今や当たり前と考えられてしまう性能や品質ではなく、消費者は感動や思いを共有できる製品を求め始めている。
今、各企業はこれらを追い始めている。
特に欧米の企業はここを抑えてきている。
考えてみて欲しい。iPodはどうか? ナイキはどうだろうか?
これがブランドだと思うのだ。
そしてそれは単なる製品の機能や品質を超えた文化であり、企業にとってはかけがえのない財産なのだ。
単なるハードである製品だけを見ていても、その製品の本当の価値は分からない。
財務諸表だけを見ていてもこれらの価値は分からない。
分からないから簡単に切り捨てることができてしまう。
だが、現場は違う。製品、ブランド、お客様に近い現場では、単なるハードや財務諸表のデータでは終わらない。
ブランドは単なる名前であるが、それが指し示すものは文化であり、かけがえのない財産であり、社員のモチベーションの源のひとつだと思うのだがどうだろうか。
アイキット ソリューションズ
生島 大嗣
http://japan.cnet.com/news/biz/story/0,2000050156,20095260,00.htm
実はこのことがずっと引っかかっていた。
このニュースについては、多くの人が論評しているので今更話題にしてもと思っていたのだが、先日カメラ・フォト事業の終了を発表したコニカミノルタの技術者と話をしていて気が付いた。
ひょっとしてこれらのニュースは大変なことではないかと。
コニカミノルタの技術者はこう話していた。
「とうとううちもカメラ事業から撤退してしまいます。私は事務機器メーカーに就職したつもりはないのですが...」
http://japan.cnet.com/news/tech/story/0,2000047674,20094760,00.htm
彼は、会社を辞めることも考えていた。
ソニーとコニカミノルタの経営判断は、財務諸表から考えると正しい決断なのだろう。
しかし、本当にそれでよいのだろうか?
ほぼ時を同じくして、三洋電機が有機EL事業から撤退し、コダックとの合弁会社も解散すると発表した。
http://japan.cnet.com/news/biz/story/0,2000050156,20095563,00.htm
実は、私の中でこの三洋のニュースは、まだ比較的抵抗感なく受け入れられた。何故なら、これはまだ一般の顧客を巻き込む前の段階だからだ。(もちろん元技術者としての思いは少し別のところにもあるのだが)
だが、ソニーのアイボとコニカミノルタのカメラに関しては違う。
消費者の生活に入り込み、多くの人達が製品に対する思いを共有している。
そう、もう単なる事業ではなく文化なのだ。
ちょっと振り返ってみよう。
高度成長期は、製品の性能がよければ売れた。
市場に製品を供給できれば事業は成り立った。
消費者は、性能や機能の良し悪し、価格を比較して製品を選んだ。
よいものを作れば売れた時期があったのだ。
ところが今は違う。
製品は動いて当たり前。よくて当たり前なのだ。
そんな当たり前の製品を作っていては、消費者は価格を比べる。
安い方が売れるのだ。
中国や韓国製品の品質が上がれば、当たり前の商品はそれらと競合してしまう。
今や当たり前と考えられてしまう性能や品質ではなく、消費者は感動や思いを共有できる製品を求め始めている。
今、各企業はこれらを追い始めている。
特に欧米の企業はここを抑えてきている。
考えてみて欲しい。iPodはどうか? ナイキはどうだろうか?
これがブランドだと思うのだ。
そしてそれは単なる製品の機能や品質を超えた文化であり、企業にとってはかけがえのない財産なのだ。
単なるハードである製品だけを見ていても、その製品の本当の価値は分からない。
財務諸表だけを見ていてもこれらの価値は分からない。
分からないから簡単に切り捨てることができてしまう。
だが、現場は違う。製品、ブランド、お客様に近い現場では、単なるハードや財務諸表のデータでは終わらない。
ブランドは単なる名前であるが、それが指し示すものは文化であり、かけがえのない財産であり、社員のモチベーションの源のひとつだと思うのだがどうだろうか。
アイキット ソリューションズ
生島 大嗣
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じょんのび wrote:
いつの間にか、学生の頃好きだったり、欲しかったりした車がなくなってますね。
ブルーバード←実際乗ってました
サニー
スターレット
レビン/トレノ
マークⅡ
セドリック
グロリア
反面復活したのもあったり。。。
ミゼット
バモス
キャロル
S2000
ブランディング戦略を考えた時、名前を変えたほうがいいんでしょうが。。。
好きだった車がなくなっちゃうと、寂しいですね。
サバンナRX-7が好きでした。
RX-8がありますけどね。
やっぱりセブンじゃないと。。。。
生島 大嗣 wrote:
じょんのびさん、本質を突いたコメントありがとうございます。
ブランドを米国マーケティング協会は以下のように定義しています。
「ある売り手、あるいは売り手の集団の製品およびサービスを識別し、競 合相手の製品及びサービスと差別化することを気とした、名称、言葉、サイン、シンボル、デザイン、あるいはその組み合わせ」
簡単に言ってしまうと、ブランドとは「名前」そのものなんですね。凄く明確で分かりやすい。
(日本では、ブランドの定義というのは何故か見当たりません)
「これが指し示すものが何か」というのが戦略なんです。これを徹底的に考える。特に米国ではそうです。
だから、名前がなくなったり復活したりするのは、具体的なブランド戦略なんです。
それにどう意味を持たせるかはそれぞれですね。
日本では、逆に先に製品がありきで、後からブランド戦略を考えることが多いです。
だから名前に概念を持たせるのが難しくなるのです。
じょんのび wrote:
なるほどです。。
モノを作る国らしい。
ってな感じでしょうか?
伝統工芸品でさえ、ものつくりの技を継承することはあっても、ものつくりの意味を継承することは、少ないように思います。
技そのものがブランド。
その技が作り出すモノを、使い手が工夫して利用する。
そんな感覚があるような気がします。
生島 大嗣 wrote:
伝統工芸品の世界ではその通りだと思います。その伝統が受け継がれている側面があるでしょう。
しかし、それだけでは今の日本の産業を支えられないという現実があります。
マスプロダクトだけでも生きていけなくなった現実を目の前にして、製品に何を付加価値として加えるかが問題になる訳ですね。
ひとつは他にない絶対的な性能や機能の優位性。
もうひとつは、徹底したブランドの構築。
しかし、ソニーもコニカミノルタも後者の道を自ら放棄したように感じたのが今回の記事を書いた理由なのです。
日本の伝統文化の例として武士道を考えてみると、武士そのものはは明治時代になっていなくなりました。しかし、「潔い生き方」に代表される武士道は伝承されています。
この武士道という文化があるので、産業である映画「ラストサムライ」も成立しうるのです。
きよ店長 wrote:
ぼくはサマンサタバサにいま、すごく興味があります。美容室も、ブランドサロンの方がお客もスタッフも憧れがありますが、実は大衆サロンを運営するほうがあるかにリスクが少なく安定経営が可能です。
そもそも、日本のブランドというものに日本人自身は一定以上の評価とお金を払うんでしょうか?
寂しいですが、、、、
生島 大嗣 wrote:
サマンサタバサはある意味面白いブランドですね。
でも、なんだかブランドのためのブランドのような感じです。本質以前の問題かな。
従って、ブランド構築戦略のみが唯一存在を規定しているような印象です。
さて大衆サロン運営とブランドサロンですが、経営の戦略が違うものです。ブランドで括れるカテゴリーではないでしょう。
大衆サロンにも文化はある。この文化が指し示すものがブランドと言えなくもない。
そもそもブランド=高級 という定義では、大衆サロンはブランドではないということになりますが。でも、そんな定義をしなければよいのです。
ブランドとは言葉そのものです。その言葉の意味するものをどう定義していくかは、そのブランドのコンセプトをどう作り上げるかにかかるのです。
大衆サロンをブランド化するなんてのもありですね。
しかし、もの作り出身の身としては、本質が伴わないブランドには重きを置きたくないのが個人的な意見です。そして本質とは高級とは限らないのです。
日本のブランドというものに日本人自身は一定以上の評価とお金を払うかですが、その場合もあるし、そうでない場合もあるとしか言えませんね。正にケースバイケースです。
うまく規定されて、マネジメントされているブランドは日本でも成功しますよ。
少し前までのソニーなんてその代表でしょうし、レクサスはそこそこの高級ブランドを目指しているようです。
ぽぽ wrote:
通常、ブランドと聞くと「顧客がもつブランド・イメージ」を私は思い浮かべるのですが、ここでのお話は、ブランドが従業員のモチベーションにも深く関与しているという所に興味をひかれました。 優秀な経営者であればあるほど、財務諸表上、苦しい事業を「ブランド構築」として残す事は非常に大変な事ではないかと察します。また、そういう事業に投資し続けようと決断する経営者は、大変な不安を抱えると思います。 それゆえ、幸運にも夢のある事業に関わることができる従業員は、がんばらないといけないなと思いました。
生島大嗣 wrote:
経営者のそういう判断を支える従業員も大事ですし、そういう従業員を選ぶのも重要ですね。そして夢を共有、つまり価値観を共有できる仕組み作りが大切だと考えています。それと従業員が決定に参画できる仕組みも必要です。それらがあればこそ、従業員は頑張れるのですね。
以前、リッツカールトンホテルのマネージャーのお話をお聞きする機会があったのですが、ここの方法は実に参考になりました。顧客向けには徹底したブランド価値の創出を行っている。それは利用したお客が「よかった、また泊まりたい」ではダメで、もし訪れる街にリッツカールトンがあれば間違いなくそこに泊まるという選択を行うブランド構築が明確に意識付けされているのです。
そして、これを実行するための仕掛けのひとつがクレドカードというもので、これは社員が考えるための価値判断のマニュアルとして作られています。従業員はスキルよりも価値感の共有できるかどうかで選抜されていて、個々が、そして従業員同士が連携して自ら誇りを持ってお客様のために考え行動するということでした。
こういう仕組みができれば素晴らしいですし、そのひとつの要素がブランドでもあると考えています。